2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。
日本衛生学会 66巻3号(2011年5月号)

編集後記


東日本大震災にてお亡くなりになられた方々に,心よりご冥福をお祈りいたしますとともに,ご遺族の方々の心中,いかばかりかと心を痛めております。また,被災に合われた皆さま,そして今も避難生活を強いられてらっしゃる皆さまには,精一杯の気持ちで,それでも復旧と復興を願わずにはいられません。「がんばろう日本」は,それでも日本の皆が,心を合わせて行こうというスローガンと理解しています。皆が気持ちを東北に向けることは,目に見えない気のパワー(オカルトでもなく)になってくるのではと,信じたい想いで一杯です。

阪神淡路とサリンの時,たまたま留学で米国におりました。日本の新聞を購読していましたし,米国でのニュース報道でも映像を見ていましたが,1年あまり後に帰国してから,その時日本国内に居なかった日本人として,阪神淡路の,そしてサリン事件の後の日本でどのようなアイデンティティの中で,自分が生きればいいのか,あるいはその時に刻み込めなかった気持ちの襞は目に見えない違いとして空白のままなのだろうなぁと思うしかありませんでした。ボランティア元年と云われた阪神淡路,そしておそらくPTSD に代表される心のケアに日本が目覚めた一つの転換点であったでしょうけれど,それを書き物の文字の中から,如何にして自分の気持ちに染み込ませればいいのか,手探りのまま時代が過ぎて行った気がします。せめて医科学に従事するものとして,今,回しているPCRが,今,染めているウェスタンが,ささやかであっても関連する将来の健康障害を抱くかも知れない人々への何らかの福音になる様にと努力するしかなかった現実がありました。

そんな中での,今回の東日本大震災と,それに続く放射能漏れの問題。地質から検出されている1200余年前に実際に起こった30 m超の津波の痕跡を,想定外としてよかったのが安全基準だったのか。どこかで今の自分には振りかかることがないという根拠の無い安心に逃げ出していたのではないか。殊,安全を考える上での想定外を想定せよという問題提起。そしてエコということだけでエネルギーを考えながら,実質的には原子力に依存していた生活を,本当に,セーフティの面でも考えないとならない局面に直面した時,気付くために失われるものがどれほどのものなのか,まだ,現在進行形で予測も付かない状況にあります。

日々の医療に携わる時,震災直後の死者あるいは行方不明者の数が報道の度に膨れ上がる現実を見つめながらでも,それでも眼前の健康障害を持った人達に対して,少しでもその健康の不都合を軽減するための仕事,あるいはそういった場面で真価を発揮出来る人材の養成という職業!それもまた,なかなか代役も立きれずに,そうかと云って店々に並ぶ義援金の箱に,幾許かを入れてみてももどかしさは拭えない。そんな気持ちで,震災直後は,どこか気持ちの芯が抜けた様な日々でした。

当時(2010年4月から2011年3月まで),地元のAMラジオ局で大学生中心のバラエティ番組が土曜日の夜にあって,私もコーナーを持っていました。3月12日の放送では震災翌日で,普段はお笑い番組でも,その時はまだ事態が激変の最中だったので,とにかく祈るしかなく,翌週の19日にはリスナーの皆さまからの支援メッセージを読み上げていく内容でした。自分のコーナーでは,17日に作ったオリジナルの復興支援ソングをギターの弾き語りで紹介しました。その歌詞をここに紹介します。楽曲はYouTube で「大槻剛巳」で検索して下さい。あるいは川崎医科大学衛生学の教室HPの教授挨拶からでも辿れます。これも叉,日本中の人達が想いを東北に寄せる一つのきっかけになればと,思っています。では「3.11.その後」をどうぞ

無機質な何か 数えてる様に 数字だけが 報道の渦に 舞い上がっている
白煙が閉ざす 見えない壁なら 表わす意味 分らないままに 怯え出している
おびただしい瓦礫 陸上の船に 横転する トラックを越えて 凍りついて行く
沈みだす土地に 哀惜も告げず 当惑さえ 放心の顔で 彼方を眺める
 そんな中 一つずつ 朝が来る
目と目を 見つめ合い 手と手を 触れ合って 心と心を 寄せ合う時に

暗闇と寒さ 忍ぶなら今と 安否さえも 伝えきれないなら 積雪に惑う
物資さえ未だ 届かない町に 吐く息さえ 弱まってしまう 空気が固まる
美しい星の 残酷な仕打ち 怨むよりも 拍動する鼓動 打ち続けて行く
一つたりとても 尊厳を込めて 重き命 それぞれの胸に 受け止め続ける
 そんな中 一つずつ 朝が来る
目と目を 見つめ合い 手と手を 触れ合って 心と心を 寄せ合う時に

いつか甦る 仲間と共に きっと甦る みんなと共に いつか甦る あなたと共に

(大槻剛巳)